三女は、2歳のなかばから小学校にあがる前くらいまでの間、超絶前髪パッツンだった。
当時、大阪の嫁の実家に帰省したついでに、お義母さんの行きつけの西中島の美容室で、長女と次女の散髪をしてもらっていた。
三重の片田舎にはちょっとない思い切りの良さでバッサリやってくれる美容師さんだったので、また髪が伸びてくるまでしっかり日数が稼げ、結果コストパフォーマンスが良かったのだ。
その美容室に、三女を一緒に連れて行っていたら、ある日店長がこう言った。
「代金は要らないから、一度だけ三女ちゃんをカットさせてくれないか」
頭の中に、三女に相応しい髪型の明確なイメージがあったらしい。職人として、そのイメージを具現化したくてたまらなくなったらしい。
三女は、このとき用もないのに美容室に連れて行っていたように、乳児の頃から、上の姉二人の都合に合わせて、知らない人のたくさんいるところへ連れ出すことがよくあった。例えば、姉たちがやっているミニバスの試合の日など、親のどちらかが家でマンツーマンで三女の相手をしているより、家族全員で試合の付き添いに行ったほうがあらゆる面で楽だったのだ。三女は色んな人に遊んでもらい構ってもらい、その分親はずいぶんと楽をさせてもらえた。
そうして物心つく前から知らない大人たちとコミュニケーションをとり続けた結果、2歳になった頃にはまったく人見知りをしない愛嬌モンスターが出来上がった。姉のミニバスチームの監督の旦那さんの股間にいきなり正拳突きを仕掛けるようなモンスターだ。
そのモンスターのヘアーを、美容室の店長は、ドングリの帽子のような超絶パッツンに仕上げた。横とうしろは急角度のカリアゲだ。
めちゃくちゃ似合っていた。
店長が言うには、自我が芽生えた年齢の子にこれをやると、いくら周りが似合っていると思おうが、本人がビックリして拒絶してしまうことが多いそうだ。だから、2歳なかばというのは絶妙なお年頃だったのだ。
パッツンヘアーはめでたく本人も気に入り、次回からは代金を支払ってこちらからお願いするようになった。
こうしてある種ふざけた髪型になった三女をミニバスの試合の付き添いに連れていくと、構ってくださる方々の空気に明らかな変化があった。
パッツンによって、三女に「この子にはふざけてもOK」という雰囲気が出たらしい。明らかにふざけのハードルが下がっていた。元々がふざけた性格の三女は、水を得た魚のようだった。
こうしてふざけの波に揉まれた三女は、小学2年生になった今もふざけ続けている。もはや悪ふざけの毎日だが、仕方がない。
親としてはとくに後悔もなく、むしろ感謝しているほうだが、客観的な事実として、髪型やファッションというものは周りの人たちの接し方を変え、長い目でみるとそれが本人の性格形成に影響を及ぼすものだなあと、実感している。三女はこれからの長い人生も、ふざけながら泳いでいくのだろう。