阿坂城跡、通称「白米城」に登ってきた。登った、というのは、この城跡、山頂につくられた山城の跡で、今は城の形跡も殆どなく、普通に標高300メートルのお気軽な山だ。
なぜ白米城という通称があるかというと、
応永22年(1415年)北畠満雅(きたばたけみつまさ)が足利幕府軍を迎え撃った戦いで、籠城する北畠軍は、馬の背に白米を流して水があるように見せて、水断ち作戦に出た幕府軍を欺き撃退したことから「白米城」とも呼ばれています。
敵に包囲され、水を絶たれたが米だけはあるので、米で馬の体を洗う。遠くから見ると水に見えるので、包囲軍は「馬を洗えるほど水があるということは、山頂には我々がしらない水源があるのだ」と思い込んで退却した、という話だ。松阪で育った人間は皆、小学校の「郷土の歴史」の時間でこの逸話を教わる。
だけど、よく調べてみると。
白米城(はくまいじょう)は、日本各地の城に残る類似した伝承[1]。あるいは、そうした伝承が残る城の通称[2]。
語り物などにより全国各地に伝播された話であり史実ではないと見られている。柳田國男は、口寄せたちにより創作された物語と推測した。
恥ずい。
同じようなん全国にあるやん。
柳田國男に否定されとおるやん。
結末としては、鳥が白米をついばんだり、内通者が密告したりして欺瞞が露呈する場合が殆どである[3]。しかし、欺瞞が成功して、水源遮断の効果がないと判断した攻め手が包囲を解くパターンもある[2]。
それな。後者のパターンやん。
パターンとか言われて。恥ずい。
これ。各地の中学校にある、「昔は修学旅行でディズニーランド行ってたけど、先輩がミッキーを池に落としたからディズニー出禁になった」伝説みたいなヤツやん。
関係ないけど、この石碑は視力が1.5あればふもとから見えるので、簡易に視力を測ることができる、有用な石碑です。