人民月報

夢はベッドでドンペリニヨン

崎山蒼志と初期衝動保存の法則

昨日の、崎山蒼志についてのエントリで、何気なく「技術は急角度で上昇しているのに、初期に弾き語っていたときの熱量が全く失われていない。」と書いた。素直な感想だったのだけど、よくよく考えると、これはかなり珍しいことだ。

 

ミュージシャン/バンドで人の心を掴む、印象的に世の中に出てくる人たちは、最初にエレキをアンプに繋いで鳴らした驚きだったり、バンドを組んで初めて音を合わせた喜びそのものを表現していることが多いように思う。少なくとも俺はそういうバンドが好きだ。でも、当り前だけどそれはいつまでもは続かない。2回目はもう初めてではないのだ。いつしか初期衝動の熱量は低くなり、テクニックやパフォーマンス等、エネルギーは他の何かに注がれることになる。

初期衝動が薄れるからテクニックを磨くのか、テクニックが向上するから初期衝動を感じにくくなるのか。色んなケースがあるとは思う。

 

THE BLUE HEARTSは、象徴的だ。メルダック3部作といわれる初期アルバム3枚に充満していた切迫感は、イーストウエスト・ジャパンに移籍した4枚目からは影を潜め、余裕や遊び心がより感じられるようになっている。

中村一義は、独りきりの自部屋で灯した青い炎を想起させる初期作から、バンド(100s)という肉体を得てからは、祝祭のオレンジの炎のような表現に変化した。

逆に、SUPERCARは、バンドサウンドの初期から、エレクトロニカという新しい躍動感を獲得する方向に進化している。

皆、何か必要に駆られて、変わっていったのだと思う。

 

稀有な存在は、少年ナイフだ。「上手くならない」という唯一無二の方法で、彼女たちはいつまでも、昨日初めて組んだばかりのバンドのような瑞々しさを鳴らす。

ベーシストとして在籍していたRitsukoが、加入直後のインタビューで「(なおこのギターは)味を出すためにわざと拙く弾いていると思っていた、一緒に演るようになって、あれがMAXだと知って驚いた」というようなことを話している。

 

崎山蒼志は?

歌唱力が上がっても、サウンドデザインが向上しても、弾き語りでもバンドサウンドでも、彼の熱量はずっと変わらない。

まだ10代、デビュー後2枚目のアルバムが出るというタイミング、彼にとって今がまだ、初期衝動の「初期」にあたる時期なのかもしれない。だけど、崎山蒼志は、そんなわかりやすい衝動で音楽をつくっているのではないように思う。音楽そのものがモチベーションになっている、ような。

 

崎山蒼志と同い年で、同じような熱量を持った存在がいる。

棋士藤井聡太だ。

彼にも、将棋を指すことそのものが究極の目的になっているような凄味がある。

藤井聡太は2002年7月19日、崎山蒼志は2002年8月31日、同じ年の夏に生まれている。崎山蒼志がデビューした2018年に、藤井聡太朝日杯将棋オープン戦で優勝している。その後の急角度の成長曲線も、似通っている。

 

ふたりはこの夏、ようやく二十歳になる。藤井聡太がそうであるように、崎山蒼志にもまた、早熟という言葉は当らないと思う。