人民月報

夢はベッドでドンペリニヨン

雨に降られない方法

成人して以来、雨に困らされた経験がほとんどない。

当り前だが、人並みに降られてはいるのだと思う。濡れることをさほど気にしない性質ではある。多少の雨では、傘を必要としない。田舎育ちで、夕立の前の匂いに敏感というのもあるだろう。昨今は雨雲レーダーですぐに答え合わせができるので、センサーの精度も良くなる一方だ。

しかし一番大きな理由はおそらく、自分が晴れ男だと思い込んでいるということだ。鶏が先か卵が先かみたいな話だが、いつからか、雨に降られた記憶よりも、降られなかった、ギリギリで回避した、という記憶の方が優先的に強化されるようになったように思う。

 

今日は、市内にあるバスケットコートへ子供を連れていった。朝の10時前から、1時間半ほどシュート練習をしているのにつきあっていると、南の空がゴロゴロと騒ぎ始めた。

忍び寄る暗雲

そろそろお腹も空いてきたし、練習を終わりにして車に乗った途端、大粒の雨が叩きつけてきた。雷も、かなり近くで鳴っている。2時間後、13時半に、近所の農家さんへ新米をわけてもらいに行く約束をしていたのだが、先方から電話がかかってきた。

「すごい雨やけど、どうする?時間ずらすか?」

「いや、これだけの豪雨、2時間も降り続かんでしょう、時間通りでいいと思いますよ」

約束の時間に伺ったときには、まだパラパラと降っていたが、米袋を車に積み込み始めたあたりで、サーと日光が差し込んできた。

こういう記憶が、また積み重なっていくのだと思う。

 

以前、初めて一緒に酒を飲んだ人が、ちょっと高価そうな傘を持ってきていたのが、少し気になった。確かにぐずつき気味の空模様ではあったが、自分としては傘は不要という判断だった。こういう時に傘を持ってきてしまうと、酒の入った帰路に、必ず傘を忘れるのだ。

しかしそんな日にこの人は傘を、しかもちょっと高価そうな傘を持ち歩いている。傘を、持ち慣れている───。俺は持ち前の推理力を働かせて、言ってみた。

「あなたは、雨男ですね?」

彼は、そんなことは生まれて初めて言われた、思ったこともなかったと、言った。

しかし。不意をついたこの言葉が思いの外ひっかかってしまったのだろうか。その夜からしばらくの間、それまでと同じように、「人並みに」降られたはずの雨の記憶が、強化されてしまったのかもしれない。数ヶ月後に再会したときの彼は、高価そうな傘を片手に、「あれ以来、すっかり雨に好かれちゃってね───」と、力無く微笑んでいた。