ブラインド・メロンのこと
ブラインド・メロンというアメリカのロックバンドがいる。
1989年結成、1992年にアルバム「Blind Melon」でデビュー。
アメリカン・ハードロックの流れを汲みながら、ほかのバンドにはない繊細で耽美的な演奏とメロディラインが特徴的なバンドだ。一言でいうと、派手さはないがシブいバンドだ。
1995年に、これまたシブいセカンドアルバム「Soup」をリリース。
同年10月、フロントマンのシャノン・フーンが死去。
28歳。コカインの過剰摂取だった。
オリジナルアルバム2枚を残してバンドは解散した。
俺はもともと高校生のときにジャケ買いしたこのバンドが好きで、折に触れて20年聴き続けた。
夭逝を美化するのではない。この時代のオルタナティブロック界隈はカート・コバーンのイメージが強いが、若くして亡くなったり、バンドが早期に解散したりすることは、じつはほかの時代より少ないと思う。地道に活動を継続し、現在も最高傑作を更新し続けているオルタナバンドは、驚くほど多い。結局、生きている奴が一番偉くて、素晴らしいのだ。ブラインド・メロンも、シャノン・フーンがボーカルのままで活動していてくれたらと思うが、それは仕方のない事だ。(ブラインド・メロンは2006年に別のボーカルを迎えて再始動している)
Last.fmという、音楽アプリで再生した曲を記録できるサイトがある。2014年、このサイトから、一週間に聴いたバンドのトップ3を、ツイッターに毎週自動ポストしていた。とくに意味はないが、ビールと一緒で記録するのが好きなのだ。
My Top 3 #lastfm Artists: Blind Melon (10), Boom Boom Satellites (9) & スーパーカー (8) http://t.co/k0GZBbWRKC
— 卜モヤ (@tomoyabungy) April 20, 2014
このポストに、「Nico Hoon」というアカウントからのお気に入り通知があった。
「Nico」
シャノンの死後、ブラインド・メロンが解散する前にリリースした、未発表音源集のタイトル。
シャノン・フーンの娘の名前だ。
シャノンの娘からイイネきたよ!
SNSすげえなって思った。20年前には絶対に不可能なコミュニケーションだよ。
御朱印月報
日曜日に、三女と八雲神社へ行った。松阪駅前の商店街から少し入ったところにある、古い神社だ。うちの地域の氏神様でもあり、7月には松阪祇園祭に神輿を出す三社のうちのひとつだ。
この間行ったときに、御朱印を押してもらえると聞いていたので、三女はちいさいスケッチブックを持っていった。
宮司さんの奥さんが押してくれた。御朱印帳ではなくてざらついたスケッチブックには文字は書きにくそうだったが、無理をして書いてくれた。
ほどなく宮司さんが帰ってみえて、すこし話をしてくださった。
八雲神社の御朱印は月替わりで12種類あるとのこと。もともと、ここの主祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)なのだけど、八雲さんは、松阪の中心にある総産土神(そううぶすながみ)というものなので、町の再開発などで廃社になった神社の神様は、ここに集められるそうだ。その数、18社から集まった神様は、同じ神様もいるので、人数としては10人。それに、主祭神の須佐之男命と、7月の祇園祭のお神輿の柄を入れて、12種類。
今月の神様は、これ、恵比寿様だそうだ。エビスビールのパッケージにいるあの人か。そういえば竿と魚籠を持って、鯛を釣ってるよな・・・。でも、
何か知ってるえべっさんと違うな・・・。
宮司さんのおっしゃるには、仏様と違って神様には決まったモデルがないし、神話の中でも時間が経過して年齢を経ていくので、どの年代を切り取るかで、いろんな解釈ができるそうだ。これは、ハンコ職人さんが張り切ってイケメンに仕上げてくれました、とのこと。
これは是非、他の月も確認しに行かねばなるまいよ。
笑う夢
三女は、明け方、寝ながら笑う。
明け方ちょっと目が覚めてウトウトしていると、三女が「フフッ」「ウフフッ」と笑っている。
笑っていることに気づいた当初は、よほど当たりの良い夢を見ているのだなと思ったのだが、気にしだしてみると、俺が明け方に目を覚ました時の3回に2回は笑っている。
上のふたりは寝ながら笑ったりしないし、寝言もごくたまに次女が「・・・ブラジル。」など、前後の文脈がわからない単語を発する程度だ。というか、そもそも今まで寝ながら笑ってる人をあまり見たことがないように思う。
たまに、「アハハハッ」と声をあげて笑って、こちらが起こされることもある。
翌朝、どんな夢を見たのか訊いても憶えていないのだが、やはり良い夢を見ているのだろう。
そんな三女が、小学二年生になった今、月に1回くらい「・・・ヒッ」など、悪夢を見ている時の寝言が出るようになってきた。
親としてはむしろ安心している。
じいちゃんの年表
100歳で亡くなった父方のじいちゃんは、とても真面目な性格の人だったが、歳を重ねるごとに良い出汁が出てきたように思う。じいちゃんの老後を、ざっくり振り返ってみよう。
80歳 突然、瘦せる
80歳近くまでわりに恰幅の良いほうで、中国共産党の大物風を吹かせていたじいちゃんだが、ある日帰省するとげっそりと痩せていた。これはヤバいと思ったら、普通にダイエットしたと言う。特に理由もなく、白米の量を減らしたと言う。80歳超えてのいきなりのダイエットは周囲の心臓にわるい。
85歳 先が見える
俺と嫁と3人でお墓参りに行ったとき、「わしはもう先が見えた」と発言。それから15年生きる。毎年嫁に「先が見えてからが長ぇな」と言われる。
87歳 心臓ペースメーカーを入れる
ペースメーカーの説明書に注意事項が書いてある。「入ってはいけない場所:レーダー基地」。俺と親父が「入れねえよw」「スパイかよw」と病室でキャイキャイ言ってたら、じいちゃんが「雷もアカンのやろか」と発言。
雷は、ペースメーカー関係なくアカン。
95歳 心配する
爺「同級生や戦友に年賀状を送ってもむこうからは返ってこんのやが、ちゃんと届いとるんやろうか?」
俺「じいちゃん、言いにくいねんけど、皆んな亡くなってはんのや」
爺「そうか・・・死んでるんか」
俺「死んではるのや」
98歳 ペースメーカーの電池を取り換える
使い捨ての覚悟で入れたペースメーカーまさかのメンテナンス。普通、ペースメーカーは、心臓の動きが悪くなったときだけ電流を流す。今回検査した結果、じいちゃんのペースメーカーは常時電流を流しっ放しだったことが判明する。もはや体の一部というか、電池で動いてる人やん。
100歳 祝いの料理にカキフライをリクエスト
歯が減って固いものは食べづらいと言っていたのに、ザックザクの衣のカキフライを完食。毎日柔らかい献立を作るのに腐心していたオカンがキレる。
100歳 急に上から目線
100歳のお祝いの席で、「90までは皆ついてくるけどな、90こえると急におらんようになるな」と発言。突然の年齢マウントに若輩者一同、沈黙。
死後 扱いに困る遺品を遺す