人民月報

夢はベッドでドンペリニヨン

終活の人たち

今日、9月11日は親父の誕生日だったので、実家に顔を見に行った。手ぶらで行ってしまったので、せめて母が抜いた庭の雑草を燃す作業を手伝ったら、焚き火欲に火がついてしまい、がっつり団扇を扇いできた。

 

居間に、写真館から届いた、先日100歳になったばあちゃんの遺影が置いてあった。100歳、老人施設にいるとはいえ病院と行ったり来たりし、食も細くなり、極端な話、明日はどうなるかわからないお年だ。遺影のパッケージには写真館の伝票が貼り付けてあって、仕上がり日が9月9日、100歳になったまさに当日なのが何か複雑な感じだったが、100歳になるというのはそういうことなのだろう。両親と、その兄弟たち(俺の叔父さんや叔母さん)の現実認識はシビアだ。

 

親父は75歳になったそうだ。焚き火をしながら、ばあちゃんの葬儀があった場合の話をしたついでに、自身の葬儀の段取りを伝えてくれた。段取りというほどのことはない。病院で死のうが施設で死のうが、いまのこの家で一晩寝かし、あとは三重大学に連絡したらすみやかにスタッフが引き取りに来て、献体として医学部生の学究のお役に立つことになっているとのことだ。勉強に使ってもらったあとは、大学が火葬までしてくれるので、葬儀もお寺もいらないそうだ。

 

100歳で亡くなった父方のじいちゃんも、市の葬儀場にお寺の坊さんに来てもらって、お経こそあげてもらったが、その後は三重大学のスタッフが連れて行って、火葬もお骨拾いもなかった。お骨になって帰って来て、お墓に納骨できたのは2年ちかく経ってからだった。普通は1年くらいで帰ってくるらしいが、100年生きたサンプルはめずらしいので、大事にすみずみまで見てもらったのだと思う。実家の仏壇には、小さい遺影と一緒に、三重大学からの感謝状が飾ってある。