人民月報

夢はベッドでドンペリニヨン

100歳のお葬式

100歳のお婆さんが、亡くなった。数年前から特別養護老人ホームに入所していたが、最期は、だんだんと食事や水分を摂ることができなくなり、呼吸が浅くなってゆくという、This is 大往生 であった。

 

すみやかにしめやかに通夜が執り行われ、葬儀は翌日の午後が予定された。

平日だったので、午前だけ仕事に行ってから参列しようかと思ったら、母が、探してほしいものがある、同行してほしいと言う。通夜の段になって、和尚が、棺に入れるアレが無いと言い出したとのことだ。

「アレとは?」

「ごじゅう、ていうらしいのよ」

「ごじゅう?重箱みたいなもの?」

「何か、巻物みたいなものらしいのよ」

「へー」

「あと、何か上に羽織るものもセットであるらしいのよ」

 

まったく要領を得ないが、几帳面な婆ちゃんのことだ、たぶん仏壇周辺にあるだろうと当りをつけて、職場に一日の休みを貰い、明朝から婆ちゃんの家に向かった。

 

十数年前から俺の両親の松阪の家で同居を始め、数年前からは老人ホームに入所した婆ちゃんの家は、松阪から45分ほど山のほうに走ったところに、当時独りで生活していたままの姿で残されている。

家の中に入ると、さすがにひと昔前の和風建築、空気がヒヤリと冷たい。仏壇に手を合わせ、引出しを片端から漁ってゆく。

しかし仏壇というものを初めてちゃんと触ったが、思いの外収納スペースが多く、じつにたくさんのものが仕舞われている。

「なかなか見つからないな」

「誰も正解を知らんからな」親父が言う。

探し疲れてふと、引出しや、戸棚のある仏壇下部から、位牌や仏像のある、上部に目線をやった。

「あっ」

いくつかある位牌のいちばん端っこに、紙袋のようなものが立てかけてあった。

取り出してみると、「五重」と墨書された大きめの封筒の中に、五枚のお札のような、蛇腹状に折られた紙が入っており、それぞれに「一重」から順に「五重」までの数字が書かれていた。坊さんが着る袈裟の襟の部分だけのような、ちょっと豪華なよだれかけのような布も一緒に入っていた。

これに違いない。大事なものだから引出しに仕舞っているとだろういうわれわれの想像を超え、もっと大事なものだから仏壇上部に祀られていたのだ。

 

これはポイントカードだ。想像するに、なにか修行というか勤行のようなものを五回、繰り返し、その都度一枚づつハンを押してもらい、コンプリート特典として、豪華なよだれかけを婆ちゃんはゲットしたのだ。これをつけて、お札を持って、「地獄八景亡者戯」で描かれたような「受付」に並んでいたら、「あっ!おたくは、こちらの入口からお入りください…」と、なるのだ。天国へのファストパスだ。

 

こうして無事、ファストパスを棺に入れたわれわれはホッと一安心したのだが、後日、婆ちゃんの家からは、もっと、本当に棺に入れるべきだったものが見つかる。

 

葬儀の翌週の週末、婆ちゃんの家の片付けのスタートとして、俺と弟が、まず、家電リサイクル券が必要になるもの(冷蔵庫とテレビと洗濯機)を軽トラで運びに行った。

弟はそれこそ30年ぶりくらいの婆ちゃん家だったらしく、懐かしさから色んなところを物色していた。

何気なく茶箪笥の引出しをあけた時だった。

「え、何これ、怖っ」

それは、婆ちゃんの苗字とも、旧姓とも違う、様々な苗字のハンコだった。大小いろいろなサイズ、字体で、およそ40本近くある。

弟は聞かされていなかったらしいが、俺は教えてもらったことがあったので、目にするのは初めてだったが、すぐに解った。

 

婆ちゃんは、生命保険の外交員、生保レディだった。

このたくさんのハンコは、遠方の顧客の生命保険を更新したり、契約内容を変更したりする際に、先方の了承を得たうえで、婆ちゃんが代理で捺印するためのものだった。今は勿論のこと、当時でもおそらくグレーな行為だっただろう。だけど、このたくさんのハンコの数は、婆ちゃんを信頼して、財産の一部を任せた人の数なのだ。

婆ちゃんは、夫(俺の爺ちゃん)を早くに亡くした後、俺の母を始めとして三人の子供を育てあげた。二軒の家を買い、一軒の家を建てた。その婆ちゃんの芯のようなものが、あのたくさんのハンコのように思えるのだ。信心深く、作法や縁起にうるさい人でもあったけれど、それとはまた違った顔を証明するものとして、ハンコたちを棺に入れるべきだったなあと、思った。

 

なによりあのハンコは、婆ちゃん家の片付けのとき、困ると思うのだ。まさか無碍にも捨てられないだろうが、他人の苗字のハンコほど不要なものは無い。棺が、最初で最後のチャンスだったと思えてならない。

次女が開口一番「このフルーツこのあとどうすんの?」と訊いた祭壇。