人民月報

夢はベッドでドンペリニヨン

新庄

新庄剛志北海道日本ハムファイターズ監督就任が発表された。

名古屋のラジオ局のアナウンサーはこうコメントしていた。「日本ハムという球団は、指導力や監督としての実力よりも、ファンサービスや話題性を優先する節があります。このチームにおいては、(我が名古屋の名監督である)落合監督よりも、新庄監督のほうが評価されるのです。」

たしかに、ファンサービスという点では、落合博満よりも新庄のほうがはるかに勝っているのは間違いない。これは、監督になって急に大人しくなるものではないだろう。だけどなぜ、まだ監督をやっていない人間の、指導力や監督としての実力を、落合以下だと決めつける物言いができるのだろう。

 

新庄は、才能とセンスだけで野球をやってきたと思われがちだし、阪神時代のファンもそう思っていた。だけど、一度でも球場で新庄の守備を見ると、その印象は変わる。

初めて甲子園球場のセンターを守る新庄を見たとき、1球ごとにスタートを切る姿に驚いた。ピッチャーが投げる前に動いている。ただ動くのではなく、1球ごと違う方向にステップしている。おそらく、キャッチャーのサインとミットの位置を見て、バッターの打球方向を予測している。バッターが打つ、センターに打球が飛ぶ、観客がセンターに目をやると、新庄はとっくに落下点に向けて走っている。隣のレフトを守る石嶺和彦の、バッターがスイングしているのに両膝に両手をついて微動だにしない姿勢と好対照だった(これはこれで度肝を抜かれた)。

甲子園に行くときは、阪神のシートノックに間に合うように、少し早めに出るようになった。カクテルライトが点灯されたばかりのグラウンドの上を、丁度ストライクゾーンの高さで地面と平行に飛んでいく新庄のバックホームを見るのが好きだった。

f:id:tomoyabungy:20211029220151j:plain

割を食ったのは赤星憲広だと思う。誰と比べるでもなく、ひとりの中堅手として見れば、文句なしの名手といえるセンターだ。だけど、新庄がMLBに移籍した翌年に入団し、すぐにセンターのレギュラーを掴んだので、間に誰もはさんでいないので、阪神ファンは赤星をダイレクトに新庄と比べてしまった。前と横の打球は互角だったけど、上は違った。センターの頭を越されるたび、阪神ファンは「今のは、新庄なら越されんかった」と言い続けた。

 

MLBから帰ってきた新庄は、そんな阪神には帰ってこなかった。東京から北海道に移転する日本ハムファイターズに入団し、入団会見で「これからはメジャーでもないです、セ・リーグでもないです、パ・リーグです!」と宣言した。この時点で、本当に「これからはパ・リーグ」だと考えていたのは、新庄以外にいなかったのではないだろうか。少なくとも、パ・リーグそのものに関わっている人達は全然考えていなかったに違いない。

新庄が日本ハムに入団した初年度の2004年、近鉄バファローズがオリックスブルーウエーブとの経営統合を発表し、西武ライオンズの堤オーナーは、パ・リーグでもうひとつ合併の話が進んでいるとコメントした(ダイエーホークス千葉ロッテマリーンズ)。12球団2リーグから、10球団1リーグに。パ・リーグ球団にも巨人戦というドル箱を。堀江貴文ライブドアパ・リーグ存続のためにNPBへの新規参入を表明しても、当のパ・リーグ各球団にとっては有難迷惑でしかなかった。

そのさなかのオールスターで新庄はMVPを獲得し、ヒーローインタビューで再び「これからは、パ・リーグです!」と発言した。今にも無くなってしまいそうなパ・リーグへの、これ以上ない力のあるメッセージだった。1リーグ構想を回避した転換点は、巨人渡邊オーナーの「たかが選手が」発言だったと思うが、今日のパ・リーグ隆盛、交流戦での好成績や、ソフトバンク日本シリーズ2年連続スイープ、ロッテの球団経営黒字転換、その発火点は新庄の「これからは、パ・リーグです!」だったと思う。